インプット
先ほど、映画ウィンストン・チャーチルについての記事を書いたが、そこで述べたインプットの話について、いったんここで自分でまとめたい。
インプットが重要であることは自分でもわかっている。
しかし、ただ本を読む、映画を見ることが重要なインプットになるのだろうか。
まあ知見を広げるきっかけにはなるのだろう。実際、この前読んだ本をきっかけに落語を聞くようになった。(聞く、というのは、実際に寄席に行くのではなく、apple musicに載っている音源を聞いてるから。)
しかし、落語を聞くからなんだと言うのだ。確かに落語は面白いのだが、それだけと言えばそれだけな気がする。
勉強におけるインプットは有用なことが多いとは思う。それは大抵の場合、体系づけられ、選ばれた情報だからである。
そうではなく、前に述べたようなインプットはどれだけの意味があるのか…
例えば、本を恐ろしいほど読んでいる、メンタリストのDaigoさんのYouTubeのチャンネルで話されることのソースは、ほとんど(全部?)学術論文である。
また、この前Twitterで見かけた言説に、下手にいろいろな本を薄く沢山読むよりも、ドラえもんを何回も繰り返し読んだほうが有用(どういう意味でかは忘れた)というのがあり、一理あるかもしれないと思った。
うーん。考えれば考えるほど、書けば書くほどわからなくなってくる。
でも、とりあえずインプットしながら、インプットの意味を考えるのは、何もしないよりはマシなのかもしれない。
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