書き置きiCai-Iri

こんにちは。自分の為にのんびり書きます。

ウィンストン・チャーチル

書くことがなく、このブログを放置していた。

大学の試験も終わり、春休みに入って、ここ数日は何も予定がなかったためほとんど家に引きこもっていた。

この春休みの為本を大量に買い、amazon prime videoもスマホに入れて、準備は完璧だった。実際、この数日、ほぼ家に籠って本を読むか、映画を見るか、寝るか、たまに飲みに出かけるといった退廃的な生活を送った。

友人に日頃からインプットが大事だと力説されこんなことをやってみているわけだが、まだ片手で数える程度しかこんな生活送っていないのにもかかわらず、不毛に感じてきた。

そもそもインプットすべてが本当に意味あるのだろうか。別に伊坂幸太郎の本を読んだって、面白いけれどそれが何か役に立つのだろうか。趣味としてはいいのだろうが、僕の友人、というか世間一般で言われている本を読め、映画を観ろ、は本当にそこまでの重要性を持ち合わせているのだろうか。ある程度は認めるとしても、よくわからなくなってきた。

音楽理論の勉強があまりに進まないことに苛立って、その愚痴と一緒に、このインプットの話をツイッターに書いたら、例の友人に、アウトプットで体系づけられていくんじゃない、と言われたので、とりあえず今日観た映画のことでも書こうかと思う。

 

観た映画はウィンストン・チャーチル

太平洋戦争時の英国首相ウィンストン・チャーチルが題材の映画である。

ウィンストン・チャーチルの顔は、日本人のメークアップアーティスト(?)が俳優の顔にシリコンかなんかをくっつけて似せたって、朝のニュース特集か何かで昔取り上げられてたような。

話の流れは歴史のままのはず(自分は歴史の勉強を避けてきた人間なので確証はないが)なので割愛するが、こんな自分でも流れがよくわかるように作られていて、とても面白かった。

恐らく見どころは周りの意見に揺れ動くチャーチルが、国王のアドバイスを受けて、敢えて地下鉄に一人で乗り、そこの乗客の話を聞いて、ファシズム諸国との平和交渉をやめる方向にかじ取りを決めたあたりなのだろう。

ただこんなこと、チャーチルが本当にしたのかと思ってググってみてみたら、この場面はぜーんぶフィクションらしい。

さらにハリファックス外相が首相の座を狙っていたのさえフィクションらしい。

えぇ…

こういう映画は辻褄があってればいいとか、歴史の大枠がつかめればいいっていう意見もあるよね、ってネットにあった記事には書かれてたけど実際どうなんだろうか。

まあ、映画としては成り立っているのだろうし、確かに面白かったけど、インプットもくそもないよ。これじゃあ。

でもこれを機に本当の歴史を学ぼうって思う人もいる、っていう言説もあり得るけど、それは後付けの言い訳にしかならないと思う。

 

うーん。インプットって何なんだろう。書いてるうちに余計分からなくなった。

 

参考文献

映画「チャーチル」は英国でどう受け取られたか, 小林 恭子, アゴラ 言論プラットフォーム, 2018, 

映画「チャーチル」は英国でどう受け止められたか – アゴラ